民間防衛 新装版―あらゆる危険から身をまもる

出版社:原書房( 2003-07 )

定価:¥ 1,575

Amazon価格:¥ 1,575

新書 ( 319 ページ )


「民間防衛」の第一章である「平和」の前半部分はかなり長く国防意識・概念について割いている。「何のために?どうして?」というのを最初にはっきりさせないと気がすまないのはスイス人の性格なのだろうか?とも考えるが、この部分の文章は非常に秀逸であり、ただ同時にある種の冗長さも感じないわけでもない。

この表題のページは、日本でも小学校あたりから、暗記させた方が良いのではないかと思わせられる箇所なのだが、全部引用するのも申し訳ないので、部分のみ引用してみる。

わが国の中立は守られている。にもかかわらず、それによって我々が盲人であってよいということにはならない。

日本の中立性という点では少し疑問もあるが、それでも日本人は盲人であって良いということにはならない。

日本の場合、周囲が海に囲まれているので、どうしても隣国の脅威というものが具体的に伝わりにくい。隣国の脅威についてあまり固執していると、ガチガチの右翼か、頭の悪い人かと思われてしまうようなところがある。

北朝鮮などがミサイルの発射実験をすれば驚いてしまうが、それでも3日くらい後には、他のワイドショーネタなんかに掻き消されて忘れてしまう。

自由と独立は、断じて、与えられるものではない。自由と独立は、絶えず守らねばならない権利であり、言葉や抗議だけでは決して守り得ないものである。手に武器を持って要求して、初めて得られるものである。

「平和憲法を護れ!」などという多くの人々がよくいうのは、「日本に攻めてくる国がどこにありますか?日本を攻めて何になりますか?資源のない日本を攻めても意味はないですよ。だから日本は他国と仲良くすることを考えるべきで、軍備拡張は慎むべきです」・・・というような話で、私もうんざりするくらい何度も聞かされたのだが、こういう人達の頭の中にある戦争の「カタチ」は第二次大戦以前の、もしくは19世紀以前のものではないか、とよく思う。単なる領土獲得のための戦争のみを想定しているのである。

こういう考え方の場合、北朝鮮の脅威みたいなものを論じると全く噛みあわない。北朝鮮は核武装し、ミサイルを持ち、日本に工作員を送り込み、日本人を拉致し、未だに返さないが、別に日本の領土を奪おうとしているわけではない。かといって北朝鮮が日本の脅威にならないわけでもない。

「ことばや抗議」も重要ではあるが、武力によって保障されていない「ことばや抗議」というのは無力である。ダライラマは偉い人だと良く思うが、かといって今のチベットの状況が日本の理想にはならないし、日本の将来があのようになってはならない。武力による保障がない、というのはああいう状態を引き起こしてしまう。

「自由と独立を守る」というのは非常に概念的な話である。ある種の理想のようにも聞こえる。しかしそのための手段は、あまりにも具体的で、実際的である。「手に武器を持って要求する」・・・これ以外の方法が全くありえないのだ。