2008.05.29
上海老地図系列 上海1948
■責任編集:張越偉、宗宏偉
■封面設計:五行人平面芸術設計
■出版社:中華地図学社
■印刷:蘇州市永新印刷包装有限責任公司
■発行時期:2006年8月
■収納時のサイズ:191×140×3(mm)
■展開時のサイズ:764×532(mm)

【写真・上】表紙。この地図は折りたたみの1枚もので、写真は地図が入れられている袋のものです。

【写真・中】全体図。縦長の地図で、厚手のしっかりした紙に印刷されています。

【写真・下】左上にある「上海市地籍分区図」。この時代の上海はまだ浦東は一部のみしか含まず、崇明島や杭州湾沿いの地域は全く含まれていないのがわかります。
原題を「上海老地図系列 上海1948」といいます。1948年に発行された「上海市全図」の復刻版です。
この中華地図学社発行の上海老地図シリーズは1932年、1948年、1956年の三種類が発行されていますが、一見すると中途半端な区切りで、どうして24年の間の3つの地図を発行する必要があるのだろうか?と思われるかもしれません。
1932年版の地図は、1843年以来発展をした「租界都市・上海」としての完成形があるわけです。1932年に第一次上海事変、1937年に第二次上海事変が起きて、上海は日本による占領下となりますので、それ以後、上海は租界時代の姿を少しづつ失ってしまうわけです。
1948年版の地図は、日本による占領が終わり、中華民国すなわち中国国民党による支配下の上海の姿がそこ見られます。国民党政府による戦後復興・都市計画によって様変わりしますが、この後で国共内戦に巻き込まれ、1949年5月27日以後、上海は共産党の占領下となりますので、1948年版の地図にはそれ以前の「中華民国の上海」の姿が見られるわけです。
1956年版の地図は、中国共産党の占領下となった後に「社会主義改造」というのが始まります。色んな建物やら施設、設備が共産党や上海市政府、人民解放軍などに接収されて名前を変えられたり、組織再編されたりするわけです。そういうのがあらかた落ち着こうとする時期の上海地図です。この10年後に文化大革命が始まってあちこちの建物やら施設が破壊されますので、この地図ではそれ以前の上海の姿を見ることが出来ます。もう一つ特筆すべきはこの時点ではまだ簡体字が使われていない、と言うことです。共産党占領下でありながら、簡体字ではない普通の漢字で読むことの出来る最後の上海というところでしょうか。
さて、そういう上海老地図シリーズの第二弾である1948年版ですが、日本の終戦である1945年から共産党による上海占領の1949年までのたった4年弱の間だけ存在した「第二次世界大戦後の中華民国の上海」が見られる本地図は大変貴重な歴史資料の一つといえるでしょう。
範囲で申しますと、北辺はあの「江湾飛行場」のあたりまでが出てきます!これは日本が1939年に建設した空港で当時極東最大と呼ばれていたもの。1994年まで使用されましたが現在は廃止されています。1939年の建設ですから1932年版には出てきませんし、1956年版は共産党の占領下で発行された地図ですから、こうした軍事上の重要拠点は地図から消されています。なんとなく空港の形がわかるようになってまして、これもなかなか貴重なものではないかと思われます。東辺は浦東にあたるわけですが、この地図で浦東はほとんど出てきません。黄浦江沿いにちょこっとだけです。推測も交えて申し上げますとこの地図はちょっと変わっていて、地図の上側が真北になっていません。真上が北西に傾いています。呉淞-江湾飛行場のあたりから、真下が龍華までとなっています。これは1930年代に中華民国政府が考えていた「大上海計画」の重要部分を1枚の地図に収めたものと考えられます。だからこの上海老地図三部作の中でこの地図だけが縦長なのです。戦前の中華民国は「租界の上海」とは別に江湾のあたりに新しい上海を建設しようとしていたのですが、それが日中戦争で挫折してしまいます。戦後になって上海の再建をしようと思っていた時に、この地図を作ったのでしょうが、30年代の都市計画を再開するかどうかとは別に、行政区画としてはどうしても30年代の「大上海」に引っ張られているみたいです。南辺は先ほども申し上げたとおり龍華あたりまでが出てきます。ここでまた注目なわけですが、この地図では龍華飛行場が見えます。大まかですが空港の形がはっきり描かれておりまして、米字型の滑走路がちゃんと見えるのです。これも非常に貴重です。龍華飛行場は1917年に建設されましたが、1932年版の地図には出てきません。そして1956年版の地図でもちゃんと「消され」ております。
現代の我々が「上海の地図」を思い浮かべるとそれはやっぱり横長のフォーマットで、国際飯店-人民公園-外灘あたりが中心になっていて、東は浦東の真ん中あたりまで、西は天山公園くらいまで、北は上海駅で南は龍華あたりまでくらいがその範囲で、南京路とか延安路とかがちゃんと見えて、各区画がしっかりわかるようなのを思い浮かべるわけですが、この1948年版はそのようになっていません。これはあくまでも中華民国政府の視点から見た「大上海」の地図なのです。だからこの地図は、車の運転の時に使うとか、観光の時に使うような配慮にはなっていません。かなり広範囲に「大上海」を収めたものでして、たぶん都市計画やら行政事業などの目的で大上海全体の地理を把握する必要がある際に使われることを考えて作られたような、そういう地図です。なので、学校や政府機関などの重要建築物については赤い色で塗られています。注意してみるとその手の「赤い色」の建築物はほうぼうに散らばってありまして、それを囲むようにして江湾、龍華、虹橋の飛行場があって(この地図で虹橋飛行場は全体図で小さく出てくるだけですが)上海の防空網を構成しているわけですから、中華民国が目指した大上海というのは究極の都市であって、改革開放が軌道に乗る前の中共の上海というのは「中華民国の大上海」のレガシーの上に乗っかっているだけのようにも見えてくるのです。
というわけで、この地図は読み込むほどに面白いと思います。この地図のポイントを改めてまとめてみると次の二つに絞れると思います。
■その1:中華民国の大上海を知る上での貴重な資料
第二次大戦後~中共占領までの4年弱の間だけ存在した地名などが、この地図から読み取れます。たとえば「虹口公園」は「中正公園」に変更されていますし、公園内にあったと伝えられる射撃場がまだこの地図の中には見えます(1956年版からは見当たりません)。ガーデンブリッジ虹口側の東あたりはかつて日本郵船が入っていましたけれど(1932年版)、この地図では中華民国海軍に接収されているのがわかります。現在の人民広場にあった競馬場は中華民国接収後「体育場」となっています。
■その2:上海の地理を知る上での貴重な資料
この地図は航空写真を元にして作られているのではないか?と思うほどにかなり細かいところまで描かれています。日本軍は第一次・第二次の上海事変の際に、上海のあちこちにあるクリーク(水路)に悩まされますけれど、この地図ではそれらのクリークが細かいところまで描かれています。それと浦東にあった上川鉄路と上南鉄路の路線図が一部見えます。これは他になかなか資料が無いのでちょっとうれしいですね。その他の鉄道網もかなり詳細に描かれておりまして、当時の上海の鉄道網を知る上でも貴重な資料となるでしょう。
1948年版はたった4年弱だけ存在した中華民国の上海を知る上で貴重な資料といえますし、上海の租界時代から現在までの「都市の記憶」をつなぐ重要な資料ともいえるでしょう。上海に心ひかれる方ならぜひ持っておきたい地図の一つです。

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