オリンピック返上と満州事変
満州事変、満州国建国、さらに2・26事件と、動乱の昭和にあって平和を模索する動きがなかったわけではない。その一つが1940年の東京オリンピック招致であった。それには国際連盟脱退という国際社会からの孤立を挽回しようとする意図と皇紀二千六百年の祝賀行事の意味があった。天皇の「詔書」と東京市の思惑の中、嘉納治五郎・杉村陽太郎・副島道正や広田弘毅といった人々の熱意によって東京招致に成功。提灯行列など国を挙げての大歓迎に湧くも、結局は返上することに…。奮闘と挫折の外交秘史。
昭和十五年九月…東京でオリンピック開催
嘉納治五郎は国際派だった
あと十年でオリンピックを呼ぶ
昭和動乱に巻き込まれた
連盟脱退が火をつけた
昭和天皇の「詔書」が動かす
広田外交のなかの東京オリンピック
“人民の時代”が来た
IOC委員に副島が就任
ムッソリーニが降りた
杉村がIOC委員を辞任
副島、ロンドン辞退を画策する
東京に決まった
ついに返上

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