上海老地図系列 上海1956
■責任編集:張越偉、宗宏偉
■封面設計:五行人平面芸術設計
■出版社:中華地図学社
■印刷:蘇州市永新印刷包装有限責任公司
■発行時期:2006年8月
■展開時のサイズ:530×778(mm)ツ黴

【写真・上】表紙。この地図は折りたたみの1枚もので、写真は地図が入れられている袋のものです。

【写真・中】全体図。横長の地図で、厚手のしっかりした紙に印刷されています。

【写真・下】「上海市位置図」長江・杭州湾あたりまでの広い範囲で、上海市の位置がわかります。
原題を「上海老地図系列 上海1956」といいます。1956年に発行された「上海市市区図」の復刻版です。
この中華地図学社発行の上海老地図シリーズは1932年、1948年、1956年の三種類が発行されていますが、一見すると中途半端な区切りで、どうして24年の間の3つの地図を発行する必要があるのだろうか?と思われるかもしれません。
1932年版の地図は、1843年以来発展をした「租界都市・上海」としての完成形があるわけです。1932年に第一次上海事変、1937年に第二次上海事変が起きて、上海は日本による占領下となりますので、それ以後、上海は租界時代の姿を少しづつ失ってしまうわけです。
1948年版の地図は、日本による占領が終わり、中華民国すなわち中国国民党による支配下の上海の姿がそこ見られます。国民党政府による戦後復興・都市計画によって様変わりしますが、この後で国共内戦に巻き込まれ、1949年5月27日以後、上海は共産党の占領下となりますので、1948年版の地図にはそれ以前の「中華民国の上海」の姿が見られるわけです。
1956年版の地図は、中国共産党の占領下となった後に「社会主義改造」というのが始まります。色んな建物やら施設、設備が共産党や上海市政府、人民解放軍などに接収されて名前を変えられたり、組織再編されたりするわけです。そういうのがあらかた落ち着こうとする時期の上海地図です。この10年後に文化大革命が始まってあちこちの建物やら施設が破壊されますので、この地図ではそれ以前の上海の姿を見ることが出来ます。もう一つ特筆すべきはこの時点ではまだ簡体字が使われていない、と言うことです。共産党占領下でありながら、簡体字ではない普通の漢字で読むことの出来る最後の上海というところでしょうか。
さて、そういう上海老地図シリーズの第三弾である1956年版ですが、1932年版、1948年版・・・と続けて見られれば、この1956年版を見るにいたって怒りがこみ上げてくるのは、まず間違いないと思われます。「ふざけるなっ!」といって床に叩きつけてやりたくなるのがこの地図です。
一体何がそこまでに怒りを掻き立てるのかと申し上げますと・・・
■その1:書かれている範囲が狭くなりました(1932年版とほぼ同じ)
東北辺は東北辺は現在の共青森林公園までです。1956年版の地図上では「共青苗圃」となっています。龍華飛行場のあたりもこの「苗圃」です。その他にも市内のはずれに「苗圃」とか、農場が見えます。当時を知る人に聞いてみますと、いきなり共産党&共産党軍が上海に大量移住するようになったので食糧の供給が間に合わなくなりそれで自分たちの農園を持って自給自足をしていたという説があります。ただ、龍華飛行場は全部農園にしたわけがないので、これは単なる「基地隠し」なわけで、そういう重要な場所については一切書かないのがこの1956年版となっています。ある意味それは中共テイストな地図ともいえるのですが、実態は不正確であり、正直いえば不誠実なのではありますけれど、彼らの言い方を借りれば「国家安全保障に配慮した」内容になっているわけです。1948年版で大上海をカバーしたというのに、なぜそれから8年後の地図は1932年版と同じ範囲に戻るのか?という気がしてきます。南辺は龍華と浦東のその対岸までが描かれています。1956年版は1932年版にくわべて横にサイズが伸びましたので西辺では西郊公園(上海動物園)のあたりまでカバーされました。そういう点で19565年版は1932年版に比べてサイズ的には33㎜進歩して、内容的にはスカスカになったといえるでしょう。
■その2:かなりいい加減な内容になっています
何がスカスカなのかといいますと、地図の精密さでいえば1948年版は言うに及ばず、1932年版にも劣ります。かなり簡略化されてすっきりした、という印象はありますが、よくよく考えると1948年版があまりにも詳細まで書きすぎたのです。1949年5月に上海攻略を開始した共産党軍は、たぶん事前に1948年版の上海地図を買って、からやってきたに違いありません。ああいうちゃんとした地図を作るというのは、中国のような不安定な地域ではあまり得策ではありません。そのためか、「中華人民共和国」では未だに地図はいい加減です。1956年版では鉄道網もかなり間引かれましたし、上水道の施設や、各種工場などの場所も描かれていません。もしかしたらたまたまこの地図には書かれていないだけで、本当はこの地図は簡単に上海の地理を知るための簡略版なのかもしれません。そうだといいんですけどね。ただ、一つ優れた点をあげるとすればクリークが判りやすくなりました。地図全体がスッキリした為に、水路が見やすくなったのですね。
1956年版の特徴をまとめれば次のようになります。
■社会主義改造後の上海がわかります
「体育場」(旧競馬場)は南北に分割して北側は現在の人民公園に、南側は人民広場になりました。現在もある人民公園西側の上海美術館(旧競馬会館)には、図書館も一緒に入っています。現在の上海大劇院のあたりには中ソ友誼館という建物が見えます。外灘の香港上海銀行(現在の浦東開発銀行)あたりには「僑人会」とい字が見えます。なんでしょうね?「あたりには」というのは、地図がいい加減すぎて場所が特定できないからです。その他いろいろ変更をあげればキリがありません。1948年版と合わせて見れば、軍の施設などの記載が消えているのがすぐにわかりますが、そうやって探し物をする楽しみがあるのも1956年版の楽しみ、といえるでしょう。
1956年版は中国共産党がつくりだした「虚像としての上海」です。そこには中国共産党が見て欲しくない場所や知られたくない場所がたくさん隠されているのです。

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