2008.07.08

国家がうまく機能するために

民間防衛 新装版―あらゆる危険から身をまもる
原書房
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「今日のスイスは非常な平和愛好国である。しかし、常にそうであったのではない。過去には過失もあった。その過失は、われわれが将来をはっきり見通すための指針としての役に立つ。わが祖先は自由と独立を守るために戦った。この点で彼らの英雄的行為に感謝を捧げる。しかし、わが祖先は近隣の土地を侵略し征服するためにも戦った。このため彼らは破滅しかかった。が、そのことを充分に理解して、侵略戦争を放棄したのである。」

この箇所もまた、「スイス」を「日本」に置き換えて読むことの出来る箇所である。この文の後に、こんな文章がある。

「革命は、しばしば、益より害となる。革命のあとの恐怖政治は、歴史の示すとおり、独裁制による血まみれの様相を呈した。無秩序は、結局、暴君が現れて鞭をふるうことを求める。」

まるで、中国のことを書いているように見える。日本にもかつて革命を求める人たちがいた。今でもいるのだろうか?このような人達が益よりも多くの害を為して来たのは歴史が証明している。私も個人的に、こうした活動している日本人を知っているが、その多くは嘘をついたり人を騙したりすることを、恥ずるどころか自慢げに行う人達で、彼らの思想云々についてよりも、人間としての資質に大きな問題を抱える人達が多かったように思う。これは中国も同じことであって、私の知る中国共産党員は、食事をして、酒を飲んだりして、気分がよくなってくると、自慢げに誰を騙した、誰をやっつけたという話をすることがあった。この人物はそういう性質を「中国的」と称していた。例えば、「I am very Chinese」(私はとっても中国的だからね!)という感じで使うのだった。

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2008.07.01

深く考えてみると

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「民間防衛」の第一章である「平和」の前半部分はかなり長く国防意識・概念について割いている。「何のために?どうして?」というのを最初にはっきりさせないと気がすまないのはスイス人の性格なのだろうか?とも考えるが、この部分の文章は非常に秀逸であり、ただ同時にある種の冗長さも感じないわけでもない。

この表題のページは、日本でも小学校あたりから、暗記させた方が良いのではないかと思わせられる箇所なのだが、全部引用するのも申し訳ないので、部分のみ引用してみる。

わが国の中立は守られている。にもかかわらず、それによって我々が盲人であってよいということにはならない。

日本の中立性という点では少し疑問もあるが、それでも日本人は盲人であって良いということにはならない。

日本の場合、周囲が海に囲まれているので、どうしても隣国の脅威というものが具体的に伝わりにくい。隣国の脅威についてあまり固執していると、ガチガチの右翼か、頭の悪い人かと思われてしまうようなところがある。

北朝鮮などがミサイルの発射実験をすれば驚いてしまうが、それでも3日くらい後には、他のワイドショーネタなんかに掻き消されて忘れてしまう。

自由と独立は、断じて、与えられるものではない。自由と独立は、絶えず守らねばならない権利であり、言葉や抗議だけでは決して守り得ないものである。手に武器を持って要求して、初めて得られるものである。

「平和憲法を護れ!」などという多くの人々がよくいうのは、「日本に攻めてくる国がどこにありますか?日本を攻めて何になりますか?資源のない日本を攻めても意味はないですよ。だから日本は他国と仲良くすることを考えるべきで、軍備拡張は慎むべきです」・・・というような話で、私もうんざりするくらい何度も聞かされたのだが、こういう人達の頭の中にある戦争の「カタチ」は第二次大戦以前の、もしくは19世紀以前のものではないか、とよく思う。単なる領土獲得のための戦争のみを想定しているのである。

こういう考え方の場合、北朝鮮の脅威みたいなものを論じると全く噛みあわない。北朝鮮は核武装し、ミサイルを持ち、日本に工作員を送り込み、日本人を拉致し、未だに返さないが、別に日本の領土を奪おうとしているわけではない。かといって北朝鮮が日本の脅威にならないわけでもない。

「ことばや抗議」も重要ではあるが、武力によって保障されていない「ことばや抗議」というのは無力である。ダライラマは偉い人だと良く思うが、かといって今のチベットの状況が日本の理想にはならないし、日本の将来があのようになってはならない。武力による保障がない、というのはああいう状態を引き起こしてしまう。

「自由と独立を守る」というのは非常に概念的な話である。ある種の理想のようにも聞こえる。しかしそのための手段は、あまりにも具体的で、実際的である。「手に武器を持って要求する」・・・これ以外の方法が全くありえないのだ。

2008.06.26

われわれは危険な状態にあるのだろうか

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「民間防衛」は表題の一文から始まる。余程の文才のある方が連邦法務警察省におられるのだろう。「民間防衛」は全編を通して高度に洗練された、的確な文章によって編み上げられた「作品」である。こういう文章を書くのはスイス人の性格も関係しているのかも知れない。そういう中で書き出しを飾るにふさわしいと思えるのがこの表題の一文なのである。

スイスは、侵略を行うなどという夢想を決して持ってはいない。しかし、生き抜くことを望んでいる。スイスは、どの隣国の権利も尊重する。しかし、隣国によって踏みにじられるのは断じて欲しない。

スイスは、世界中で人類が行うあらゆる建設的好意には全力を尽くして協力する。しかし、みずから行うべきことを他人からさしずされたくはない。工業国、商業国としてのスイスは、自由競争の条件のもとで全世界と貿易をしており、スイス製品は一般の高い評価を受け、わが国民の職業的良心を立証している。

しかし、このような評価によって、スイスが、起り得る大戦争の局外に立ち得るわけではない。

ヨーロッパにおけるスイスの戦略的地位は他国にとって誘惑的なものである。その交通網は、交戦諸国にとって欠くことのできないもののように見える。簡単にいうならば、

われわれは受身に立って逃げまわる権利を与えられていない。

われわれは、あらゆる事態の発生に対して準備せざるを得ないというのが、最も単純な現実なのである。

 文中の「スイス」を「日本」に、「ヨーロッパ」を「東アジア」に置き換えれば、この文章はそのまま今の日本の状況を説明する内容になってしまう。中国海軍が太平洋に出て行くためにはどうしても日本の存在が邪魔になる。そして中国が影響力を拡大しようとしている沖縄、尖閣、台湾、東南アジアなどの地域はほとんどが日本のシーレーンと重なってしまう。

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2008.06.17

「民間防衛」を読む

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「民間防衛」という本がある。本書はスイス連邦内閣の要請によって、スイス連邦法務警察省が発行したものである。本書「前書き」にはこんな一節がある。

今日では、戦争は全国民と関係を持っています。国土防衛のために武装し訓練された国民一人一人には、『軍人操典』が与えられますが、『民間防衛』というこの本は、わが国民全部に話かけるためのものです。この2冊の本は同じ目的を持っています。つまり、どこから来るものであろうとも、あらゆる侵略の試みに対して有効な抵抗を準備するのに役立つということです。

戦後の日本は「日本は東洋のスイスたれ」と言われ(マッカーサーがそういったらしいのだが、私の方では裏をとっておりません)、確かに私の小中学校の時にも、学校教師からそのようなことを聞いた覚えがあるのだけれど、戦後日本が歩んだ道というのは、スイスとはかなりかけ離れたものであったようだ。四方を山に囲まれて隣国と地続きに国境を接しているスイスと、四方を海に囲まれて、日米安保条約に守られ、アメリカの核の傘の下にあった日本とでは国をどのように守るのか?という意識があまりにもかけ離れすぎているように思う。その「かけ離れ」を最も強く感じさせてくれるのが本書である。

今後少しづつ、本書の気になる箇所を、このブログ上で紹介していこうと思います。